Tuesday, September 29, 2009

カウンターパート


カウンターパート。


それは、「国際協力や国際的な共同作業などを行う際,現地での受入れを担当する人や機関を指す。受け入れ担当者、 受け入れ担当機関。」だそうです。

私のカウンターパートは、郡保健局の母子保健部の責任者で、保健師で看護師で助産師のスーパーウーマンです。

協力隊員の中には、カウンターパートと呼べる人に出会えず、一人で活動を進めなければならないと悩んでいる人もたくさんいます。

なので、私は、まずそう呼べる人がいるだけで幸運だと思います。

そして、彼女はとても働き者でまじめで、優しくて、経験豊富で、チャーミングで、料理上手!魅力的な人です。

他の同僚も、皆とてもまじめで働き者な人ばかりです。

それに対して、自分は特に何ができるわけでもなく、一体全体、自分はここにいる必要があるのだろうか?と思う瞬間もあります。

昨日、カウンターパートは新しいダイレクターと郡内の施設周り。

一日中、食事を採る暇もなく、休む暇もなく。

夕方、くたくたになって帰ってくると、そこへ州からの手紙が。。。

「明日、明後日、HIVに関する報告会をするので、プレゼンテーションを準備してくること。」

また来た!この突然の知らせが。いつも急すぎるんだよ!

カウンターパートは、疲れたので家に帰って仕事をする。と。

そして帰宅。

私とカウンターパートはお隣さん。

しばらくすると、そとから「ヨーコー」と呼ぶ声が。

「手伝って」と家にやってきた。

二人で、与えられた議題をもとに、今年度のデータを掘り起こし、あーだこーだ言いながら、

なんとかレポートをまとめた。

気付いたら9時過ぎ。

カウンターパートの家からは、爆音の音楽がいつものように流れている。

「ダンナが酔っ払うといつもこうなのよねー」と笑っていた。

そして、これで今夜ぐっすり眠れる気がする。と言って家に帰っていった。

そして今朝6時半。最後の確認に、またうちにきて、必要なデータをペンドライブにコピーして、

必要な資料を印刷して、

カウンターパートはダイレクターとともに、州都コフォリディアへと旅立っていった。

普通に考えたら、突然夜とか早朝に家に仕事持ってこられたら、びっくりするか、イヤかもしれないのだけど、なんだか、頼ってもらえて私はとても嬉しかったです。



Friday, September 25, 2009

いちねん


先日、19年度2次隊のお別れ会があり、アクラヘ行ってきました。

一年以上、一緒に過ごしてきた彼らも、こうやって帰国の日を迎えるなんて、

なんだか不思議な感じがしました。

表情はそれぞれで、

実感がわかない人、

やり遂げたー!という晴れやかな人

ガーナを離れるのが寂しくて寂しくて、涙顔の人、

恋人を残して行く、と言う人

最後に、みんな頭を編んで、

お気に入りのガーナ服を来て、

日本に戻ったら、あなたたち、明らかに、日本人には見られないですよ?というような、異彩を放つ皆さん。


私たちも、一年後、こうなんかーって思ったら、、、

なんか変な感じです。

なんだかんだで、日本に帰りたいと思ったことも何度もあったけれども、

大きな事故や病気もなく、無事一年やり遂げることができました。

これも全て、いつも助けてくれる現地の人々や日本の家族や友人のおかげです。

どうもありがとうございます。

一年だけでも多くの素晴らしい出会いと、ツライ別れがありました。

そしていろんな大事なことを教えてもらいました。

これからも健康第一、安全第一で!!



Wednesday, September 09, 2009

近道

毎月第一週目は、陽性者のミーティング。

いつも、トロトロ(乗り合いミニバス)を終点で降りて歩いて会場に向かう私は、車の中でボーっとしていると、

「おい!中国人!ここで降りろ!」とメイツ(車掌?)に言われ、訳がわからない顔をしていると、車の外から誰かが呼んでいる。

それはメンバーの一人でした。

私たち外国人ボランティアがエイズ対策の活動をしているのは周知の事実なので、外国人ボランティアと一緒にいると、周りの人にHIV感染者だと疑われる、ということを理由に、外では私たちを避けるという話を他のボランティアから聞いたことがありますが、私の郡の陽性者たちは、道端でも普通に挨拶をしてくれ、世間話もします。彼らの明るい笑顔と優しさに私のほうがいつも元気付けられています。

この日も、「こっちの方が近道だから!」と、私に教えてくれたのでした。

そして、二人で道なのかなんなのか良くわからない草むらを突っ切り、会場へ。

多くの国でHIVの治療薬は無料化されていますが、ガーナでは、HIVの治療薬は有料です。

健康保険に加入するのに14ドル、毎月の治療費が5ドル。陽性者であってもなくても、収入源の限られている人たちにとっては決して安い額ではありません。

しかしながら、陽性者グループに参加したり、手続きをすることで、政府から食料や治療費の援助を受けることも可能です。

でもやっぱりお金がからむとトラブルが発生することも。

陽性者になりすまして、援助を受けようとする人がいたり、陽性者グループのリーダーがメンバーへの支給分をだましとったり。。。

でもその背景にも、

陽性者以外にも深刻な貧困に直面している人たちもいるし、

陽性者で出産後、母乳はこどもへの感染の可能性があるから、粉ミルクが必要になるけど、

粉ミルクは高価で買えないから・・・

など、もちろんお金をだましとることはよくないのだけれど、なんともやりきれない理由があったります。

ミーティングの最後の食料配給の時間、私に近道を教えてくれた子が泣いていた。

何で泣いているのか、私にはよくわからなかったけど、どうやら具合があまりよくなかったみたいだ。

私が何を聞いても基本的にYESしかいわない。

彼女は英語があまりわからないみたいだった。

ガーナにきて一年になるけれど、未だに現地語があまり話せない私は、自分の無力さを感じるとともに、それでも自分にできることはないか、模索中です。